2015年5月18日月曜日

『イラクサ』

昨日は読書会でした。

今回のテーマは、カナダの女性作家アリス・マンローの『イラクサ』です。


楽しい読書会の始まり始まり~!



今回は司会をさせてもらったのですが、短編集なのでどういう進行にしようかちょっと迷ってしまいました。

少し読んでみると「読み流すタイプの小説ではない」と分かったので、あまり欲張らず一編に集中して語り合う方がいいと判断しました。タイトルになっている「イラクサ」(※)をメインに、その他に関しては「気になった作品はありましたか?」ということにして、自由に意見を聞くことにします。

※原題は「Hateship,Frendship,Courtship,Loveship,Marriage」、短編の中のひとつ「恋占い」が本国ではタイトルに使われているようです。

「イラクサ」を読み始め、まず最初の10行で激しくつまづきます。頭が混乱、何度も読み返し書かれていることを理解するのに時間がかかってしまいました。しかも9行目にある「ゴルフコースは見つかったー」の一文に関しては、読み終わってからでなければ、このイントロがどの時間を示しているのかを理解することはできない仕組みです(そのことは後ほど)

物語の舞台は現在から「わたし」の子供時代へと変わります。主人公に名前が無いことから「わたし」=「アリス・マンロー自身」なのだと推測できます。 井戸掘りに雇われた男の息子(マイク)との、夏休みの思い出が語られ、戦争ごっこを通じて芽生えた感情(一人の男性に奉仕することの喜び)淡い恋心、やがて突然訪れる別れのことなど心情豊かに綴られます。そして大人になって偶然の再会、お互いに複雑な家庭の事情があり、そんな中での再会に二人の気持ちは盛り上がるのだけれど・・・と、大まかにはそんなストーリーです。

たまたま読書会の司会ということで、集中的に読む機会を与えられたこの短編小説、自ずとタイトルが「イラクサ」なのはどうしてなのか?イラクサに何の意味があるのか?について言及するのですが、なかなかストーリーからその謎を読みとることは難しかったです。そして何度か読み返すうちに、イラクサは「マイク」との想い出などという単純なものではないのだ、と気が付きました。

実は、植物の「イラクサ」にまつわる話しの中には、かなりトリッキーとも言えそうな要素が含まれています。よく読めば分かるのですが・・・花の色や形状に対する概念(それによる思い違い)、イメージと現実の違いなど、ひと言も見逃せない緻密な文章となっています。なので読書会では本文に出てくる植物の写真などを用意し、できるだけ分かりやすいようにしてみました。

物語の最後の5行、

「あの大きなピンクがかった紫の花をつけた植物は、イラクサではなかった。それがヒヨドリバナと呼ばれることを、わたしは今では知っている。わたしたちが踏みこんだに違いない針を持つイラクサは、もっとどうってことない草で、薄い紫の花を咲かせ、茎には細くて猛々しい、肌を刺激するトゲトゲガ意地悪くついている。ことらもまた存在するのだ、ひっそりと、荒れた茂みのなかに」

謎解きの答えが、そこには集約されていました。

「踏みこんだに違いない」イラクサ=マイクへの幻想、
「今では知っている」ヒヨドリバナ=マイクの現実、そして現在は夫がいる。

と、解釈できそうです。

ここで注目するべき点が、現在の夫に関しては何の説明も紹介もされていないということ。物語の最初にさらりと(かなり発見されにくく)夫の存在が見つけられるくらいなのです。そして始めに書いた、小説の最初の部分について・・・「ゴルフコースは見つかったー」の、ゴルフコースはマイクと訪れた場所であり、ゴルフコースを見つけたのは現在の夫と・・・なんともトリッキー(笑)

「イラクサ」以外では「浮橋」という作品が印象的でした。この「浮橋」の中で、重病の主人公が感情を露わにするシーンでも、また「イラクサ」とは違った臨場感たっぷりのトリッキーな手法が用いられ、作家の才能を目の当たりにすることとなりました。

ノーベル文学賞も受賞し各方面で話題の一冊、じっくり、じっくり読む覚悟があればとても面白い小説だと思います。まだまだ私には追い付けない、とても正直で冷静な、落ち着いた大人の女性目線を感じる作品でした。